岡山地方裁判所 昭和48年(ワ)435号 判決 1978年3月29日
原告 甲野春子
右法定代理人親権者父 甲野太郎
同親権者母 甲野花子
原告 甲野太郎
原告 甲野花子
右原告三名訴訟代理人弁護士 小倉金吾
被告 財団法人倉敷中央病院
右代表者理事 鶴海寛治
被告 武田修明
右被告両名訴訟代理人弁護士 分銅一臣
同 吉本範彦
右訴訟復代理人弁護士 陶浪保夫
同 土屋宏
同 赤松範夫
主文
一 被告らは各自原告甲野春子に対して金七〇九万五六二五円およびこれに対する、被告財団法人倉敷中央病院は昭和四八年八月一九日から、被告武田修明は同年九月二一日から、いずれも完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。
二 原告甲野春子のその余の各請求、原告甲野太郎、同甲野花子の各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告らの、その余を被告らの、各連帯負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、被告両名のために金五〇万円の担保を供したときは、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告らは連帯して、原告甲野春子に対して金九〇〇万円、原告甲野太郎、同甲野花子に対してそれぞれ金五〇万円および右各金員に対する、被告財団法人倉敷中央病院は昭和四八年八月一九日から、被告武田修明は同年九月二一日から支払済みに至るまでいずれも年五分の割合による金員の支払いをせよ。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 被告ら
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 原告らの請求原因
1 第一次請求原因
(一) 当事者
(1) 原告甲野春子(以下「原告春子」という。その余の原告についても以下同様に姓を省略する。)は、昭和四八年二月二六日、原告太郎、同花子の長女として出生した。
(2) 被告財団法人倉敷中央病院(以下「被告病院」という。)は、救療および軽費診療を行うこと並びに医学一般に関する研究に従事することを目的とする病院であり、被告武田修明(以下「被告武田」という。)は被告病院の小児科に医師として勤務していたものである。
(二) 事故の発生
(1) 原告春子は、昭和四八年四月二五日、下痢を主訴として被告病院に入院し、以後被告武田の治療を受けてたい。
(2) 同年五月二日午後四時二〇分頃から、被告武田は、原告春子に対し静脈切開法(以下「カットダウン」という。)を用いて点滴を施行した。
同日午後八時頃、原告春子に付添っていた原告花子は、輸液が切開部位から漏れているのに気付いたので、看護婦に連絡して然るべき処置を求めた。原告花子は、同日午後一〇時頃、再び、輸液が漏れているのを発見したので、看護婦に対して、被告武田に適当な処置をして貰いたいので同被告に連絡して欲しい旨の依頼をした。しかしながら、被告武田は、看護婦に対して点滴を続行するようにとの指示をしたのみで、何らの処置もしないで放置した。
翌三日午前八時頃、看護婦が、原告春子の右下肢に巻かれていた包帯を解いたところ、原告春子の右下肢は足先から足首にかけて血の気が引いて腫れあがっていた。
同日午後二時頃になって、漸く、被告武田は、原告春子のところへやって来て同人の右下肢の状態を診た。その後、外科医に応援を依頼するとともに看護婦に対して湯で温めてマッサージするようにとの指示をした。
(3) このように切開部位から輸液が漏れているにも拘らず、被告武田が、何らの処置もとらず、長時間、原告春子を放置した結果、同人の右足先が壊死を起し(以下原告春子の右足先の壊死を「本件医療事故」という。)、ショパール関節のところで切断することを余儀なくされた。
(三) 被告らの責任
(1) 被告武田は、切開部位から輸液が漏れている旨の連絡を受けていたのであるから、このような場合、医師として直ちに適切な処置をして不測の事故を未然に防止すべき注意義務があるにも拘らず、これを怠り、何らの処置もせず、漫然原告春子を放置した過失がある。
よって、被告武田は、民法第七〇九条に基き、原告らが本件医療事故に因り被った後記損害を賠償すべき義務がある。
(2) 被告病院は、被告武田の使用者であり、本件医療事故は、同病院の業務執行中の被告武田の過失により発生したものである。
よって、被告病院は被告武田の使用者として民法第七一五条に基き原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。
(四) 損害
(1) 逸失利益 五七六四万六二三〇円
原告春子は、将来、杖なくして歩行することは困難である。従って、就職して一定の収入を得るということも出来ないであろうし、結婚することも難しいと考えられる。
原告春子は本件医療事故がなければ一七歳から六〇歳に達するまでの間労働可能であったとみるのが相当である。そこで、全産業女子労働者の平均賃金を基礎として(右平均賃金額は毎年五パーセント上昇すると考える。)、同原告の右の労働可能期間における逸失利益の、ホフマン式計算法による年五分の割合による中間利息を控除した本件医療事故発生当時の現価を算出すると、別紙逸失利益計算書(一)記載のとおり五七六四万六二三〇円となる。
(2) 慰謝料
(イ) 原告春子は本件医療事故により甚大な精神的苦痛を受けているので、同原告に対する慰謝料としては二〇〇万円が相当である。
(ロ) 原告太郎、同花子は、原告春子の父母として、本件医療事故に因る、原告春子の受傷により、死にも比肩すべき精神的苦痛を被ったものであり、右苦痛は将来も継続するのであるから、これを慰謝するにはそれぞれ一〇〇万円が相当である。
2 第二次請求原因
(一) 昭和四八年四月二五日、原告春子の法定代理人親権者である原告太郎、同花子は、被告病院との間に、原告春子のため入院診療契約を締結した。
(二) 被告病院は、右契約に基き、生後二ヶ月に過ぎない乳幼児であって、体の異常を自ら訴える術をもたない原告春子を細心の注意をもって診察加療すべき義務を負った。
(三) 被告病院の勤務医で、同被告の履行補助者である被告武田が、輸液が漏れているにも拘らず、それに対して何ら適切な処置を施さなかったため、原告春子をして右下肢をショパール関節で切断することを余儀なくさせたのであるから、被告病院は前記契約上の債務不履行に因って原告春子が被った前記1(四)(1)(2)(イ)の損害を賠償すべき義務がある。
3 結論
よって、被告ら各自に対して、右の損害賠償の内金として、原告春子は九〇〇万円、原告太郎、同花子はそれぞれ五〇万円、および右各金員に対する本件訴状送達の日の翌日から支払済みまでの遅延損害金として、被告病院には昭和四八年八月一九日から、被告武田には同年九月二一日から、いずれも民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの答弁
1 請求原因1(一)の事実はすべて認める。
2(一) 請求原因1(二)(1)(2)の事実はすべて認める。但し、原告春子が被告病院に入院した日は昭和四八年四月二三日である。
(二) 請求原因1(二)(3)の事実のうち、輸液の一部が身体外に漏れ出たことは認めるが、右のことと原告春子の右足先の壊死との間に因果関係があるということは否認する。原告春子の右足先の壊死は、大腿動脈に発生した血栓に因るものと考えられる。なお、原告春子の右足先の切断部位はリスフラン関節である。
3 請求原因1(三)は争う。
4 請求原因1(四)の事実は知らない。
第三証拠関係《省略》
理由
一 第一次請求原因(一)、(二)(1)(但し、原告春子の被告病院への入院日の点を除く。)、(2)の事実については当事者間に争いがない。
二1 右の当事者間に争いのない事実と《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 昭和四八年二月二六日(以下、日時のうち昭和四八年中の日時については、年の記載を省略する。)、原告春子は、原告太郎、同花子の長女として出生したが、次女夏子との双生児で、出生時の体重が二〇〇〇ないし二一〇〇グラム程度の、所謂未熟児であった。原告春子は、四月一六日頃から、一日に一〇ないし一五回位軟便ないし水様便を排泄する状態が続いたので、同月二三日、下痢を主訴として、被告病院に入院した。
(二) 原告春子は、入院後、便回数が増加し、脱水状態が著明で、微熱が続き、血液検査の結果は、同月二四日には、ヘモグロビン六・五グラム/デシリットル、白血球二〇〇〇〇/ミリメートル立方、同月二八日にはヘモグロビン七・一グラム/デシリットル、白血球二二一〇〇/ミリメートル立方で、中等度の貧血状態であり、かつ細菌性の感染症に罹患していることが疑われる状態であった。そして、体重も入院当時約三一〇〇グラムであったのが五月二日には二八〇〇グラム余りに減少し、さらに、同日行われた血液ガス分析の結果は、PH六・九一八で酸血症と認められた。
(三) 原告春子の入院当初からの担当医であった被告武田は、原告春子の右のような脱水、貧血状態、酸血症を改善するため、静脈切開法による点滴をすることにし、五月二日午後三時三〇分頃から、被告武田が原告春子の右下肢の内踝直上約〇・五センチメートルのところで切開手術を行い、静脈(大伏在静脈であると考えられる。)にチューブを挿入した。その際、原告春子の右下肢は、副木に固定するため、大腿部から足先端部まで、切開部位周辺を除いて、包帯が巻かれ、足先端部も包帯で覆われ皮膚は殆んど見えない状態となった。そして、同日午後四時二〇分頃から、自動ポンプを使用して、二〇CC/時間の流入速度で、輸液(1・2・3液)二〇〇CCの点滴が開始された。
(四) 同日、午後八時頃および午後一〇時頃、原告春子に付添っていた原告太郎は、輸液が漏れて原告春子のシーツ、包帯が濡れているのを発見したので、その都度、これを看護婦に知らせ、看護婦がその都度右の状態を観察し、午後一〇時頃には原告春子の右足首に約一ミリメートル位の大きさの水疱が二個生じているのを認め、その都度その観察結果を被告武田に報告した。同日午後一二時頃、看護婦が副木、包帯が幾分濡れているのを認め、被告武田に報告した。右各報告を受けた被告武田は、その都度点滴の続行を指示した。翌三日午前二時二〇分頃、予定されていたところにしたがって、輸液をAC液(全量二〇〇CC、流入速度二〇CC/時間)に切り換えて点滴が続行された。同日午前四時ないし五時頃、原告花子は、原告春子のおむつを交換する際に、同原告の右大腿部が腫れているのに気付き、直ちに看護婦に対してその旨を告げ、あわせて被告武田に連絡して欲しいとの依頼もしたが、何も措置はとられなかった。
(五) 同日午前八時頃、看護婦は、原告春子の陰部のあたりおよび右下肢全体が腫れていること、切開部位から輸液が漏れていることを認めた。同日午前九時二〇分頃、看護婦からの電話による、右のような状態の報告に対する被告武田の指示により、カットダウンが除去され(点滴が中止された。)、副木に固定するために巻かれていた包帯も解かれた。その時、原告春子の右下肢は全体に腫脹し、下腿部および足背部周辺には水疱ができていて、足首から先は紫色に変色していて冷感があった。同日午前一〇時頃、看護婦からの電話による、右の状態の報告に対する被告武田の指示により、原告花子が、原告春子の右下腿、足部に温湿布(右部分に油紙をあてた上から、湯で温めたタオルをあてる方法)の施行を始め約三時間継続したところ、下腿部の腫脹は幾分か減退した。同日午後一時過ぎ頃、被告武田は原告春子を診察し、直ちに、整形外科の医師の診察を求め、同医師と相談のうえ、右下肢に対するヒビテン入り微温湯中でのマッサージー、および熱気浴を施行したところ、足首部付近は幾分か血色が戻った。翌四日午前、原告春子の右下肢下腿部の腫脹は依然強く同部から足先にかけて豆粒あるいは粟粒大の水疱が多数できており、腓腹筋に阻血性の硬結があり、更に指足背部および指足底部は黒色になっていて既に壊死状態に陥っていた。
(六) 被告武田は、五月四日から同月六日までウロキナーゼ(血栓溶解剤)を輸液に混じて原告春子に投与した。その後、原告春子の右足の壊死部分の範囲は拡大せず、同月二二日頃から壊死部と健常部との分界線が明確になり出し、六月五日、壊死部は殆んど自然脱落に近い状態となり、右下肢のリスフラン関節線で切断された(手術としては、中足骨を一本離断、第二楔状骨の一部を摘出したのみで、その余の部分は自然脱落。)。
右のように認められる。被告武田本人の供述のうちには、右(三)の認定に反する、下肢内側静脈を使用して点滴を行う場合、下肢を固定するための包帯は、足先の方では間隔をゆるくして巻くのが常識であり、原告春子の場合もそのようにした旨の供述があるが、原告花子、同太郎各本人の右(三)の認定にそう趣旨の供述、右(五)認定のとおり五月三日午前九時二〇分頃、原告春子の右下肢を副木に固定していた包帯が解かれた時には、既に右足首から先は紫色に変色していたが、それまでに右のような状態に至る変化が進行していることに気付いていた者があることを認めるに足りる証拠がないこと、《証拠省略》には、同日午前八時に看護婦が原告春子を観察した結果が記載されているが、右足先部に異常状態が認められたことは何も記載されていないことなどに照らして考えると、被告武田本人の右掲記の供述はたやすく信用できない。真正に作成されたことに争いのない甲第一号証には、原告春子の右下肢ショパール関節線で切断されている旨の、右(六)の認定と異る記載があるが、被告病院代表者本人の供述、証人長野健治の証言および右甲第一号証が作成された日時等を考え合わせると、甲第一号証の右記載は右(六)の認定を覆すに足りない。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
2 (一)右1認定のとおり、原告春子は点滴施行前から、脱水、貧血、酸血症の状態にあったこと、五月三日午前九時二〇分頃に点滴を中止した際に、右足首から先の紫色に変色していた部分に冷感があったこと、五月四日午前中においても右下腿腓腹筋に阻血性の硬結があり、指足背部、指足底部は黒色に変色し、既に壊死状態に陥っていたが、その後壊死部分の範囲は拡大せず、壊死部分と健常部の分界線が明確になったこと、(二)被告病院代表者、被告武田各本人の、前脛骨動脈および後脛骨動脈に同時に、または右各動脈よりも下位の動脈に同時に血栓が生じるということは想定し難い旨の各供述(右各供述は、医師である右各本人の医学上の知識に基く意見である)、(三)鑑定人水谷民衛の鑑定の結果を合わせて考えると、原告春子の右足先部の壊死は、右大腿動脈もしくは右膝窩動脈に血栓が発生したことに因る血行障害によって生じたものと推認するのが相当であり、右推認を覆すに足りる証拠はない。
そして、右の血栓の発生が、被告武田が行った点滴の施術に因るものであることを認めるべき証拠はない。
しかしながら、(四)前記1認定のとおり、原告春子に対して五月二日午後四時二〇分頃から点滴を開始した後、同日午後八時頃に輸液が漏れていることが認められてから五月三日午前九時二〇分頃に点滴が中止されるまでの間、僅かづつではあるが概ね継続的に輸液が漏れていたこと、五月二日午後一〇時頃には原告春子の右足首に微小ではあるが水疱二個が発生しており、五月三日午前四時ないし五時頃には右大腿部に腫れが生じていたこと、同日午前九時二〇分に包帯を解いた時には右下腿部および右足背部周辺には水疱ができており、既に足首から先は紫色に変色していたこと、原告春子の右下肢の血行障害に対する処置としては、同日午前一〇時頃から行われた温湿布が最初であること、(五)鑑定人水谷民衛の鑑定の結果を合わせて考えると、原告春子に対する点滴開始後に発生した右下肢の血行障害の発見、これに対する処置が遅れたことに因って、右足先部の壊死を生じ、もしくは少くとも壊死部の範囲の拡大を生じたものと推認するのが相当であり、右推認を覆すに足りる証拠はない。
三1 一般に、医師はその業務の性質上、患者の生命身体に対する危険防止のため相当高度の専門学術的注意義務を負うことは勿論であるが、とりわけ乳幼児の治療を担当する医師は、乳幼児に対しては、本人からの自覚的症状の訴えを期待することが困難なのであるから客観的症候に特に細心の注意を払うべきである。そして、担当医師が、患児の身体に何らかの異状が発生したことを告げられた場合には、異状の発生原因が明白であって、それに対して執るべき処置が疑問の余地がない程度に確定しており、看護婦等の医療補助者でも適切に処置し得るというような特段の事情がない限り、直ちに若しくは相当な時間(異状の程度内容・患児の全身状態に応じて判断される。)内に、自ら患児を診察するか、又は他の適任と思われる医師に診察させるかして、適切な処置を施すべき注意義務を負っているというべきである。これを本件についてみるに、前記二1(四)、(五)認定のとおり、被告武田は、担当看護婦から、五月二日午後八時頃、同一〇時頃および同一二時頃、原告春子の右下肢の切開部位から輸液が漏れている旨報告を、さらに同一〇時頃には右足首に水疱が出来ている旨の報告をも受けていた(鑑定人水谷民衛の鑑定の結果によると、輸液の漏れ、水疱の発生は、下肢血流障害を疑うべき一つの所見であると考えられる)にもかかわらず、看護婦に対して点滴の続行を指示したのみで、自ら原告春子の症状を確認しなかったのであるから、被告武田が乳幼児である原告春子の症候に細心の注意を払ったということはできないから、右の点に過失があり、また前記二1(三)認定のとおりの、原告春子の右下肢の異常症候を早期に発見するに適当でない固定方法をとった過失とに因って、原告春子の右下肢に生じた血行障害の発見およびこれに対する処置が遅れたものということができる。
被告武田本人の供述によると、同被告は、五月二日から翌三日にわたって被告病院の内科、小児科担当の当直医師の勤務に服し、その間に一五名位の外来急患の診療を行ったほか、被告武田が担当医であった白血病の入院患児が五月二日頃から重篤状態に陥っていたため、右患児に対する診療、検査等にも忙殺される状態にあったこと、幼児に静脈切開法による輸液を行った場合に、血管が細いことなどによって輸液が漏れることは必ずしも珍しいことではないことが認められ、右の事実を考え合わせると、被告武田が、前記認定のとおり看護婦から輸液が漏れていることなどの報告を受けながら、自ら原告春子の症状を確認しなかったことに過失があるということは、被告武田に酷に過ぎる(過重な注意義務を課する)という感がしないではない。しかしながら、もし被告武田が外来急患、前記の白血病患児に対する診療等のために、原告春子の症状を自ら確認する時間的余裕を得ることが困難であったとすれば、看護婦に対して原告春子の右下肢の状態の観察方法について具体的に適切な指示をすることによって、異常症候の発生を見逃さないようにさせるべきであったのであり、右のような方法によって、原告春子の右下肢に発生した血行障害を早期に発見することが可能であったと考えられるのみでなく、前記のとおり原告春子の右下肢の固定方法が適切でなかったことにも過失が認められる以上、被告武田は原告春子の右下肢の血行障害の発見、これに対する処置が遅れたことについての過失の責を免れないものといわなければならない。
2(一) してみると、被告武田は民法第七〇九条により本件医療事故に因って生じた原告春子の後記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告病院が被告武田の使用者であることは当事者間に争いがなく、被告武田の前記の過失が被告病院の業務執行についての過失であることは、前認定から明らかである。
よって、被告病院は、民法第七一五条により、被告武田と連帯して、原告春子が被った後記損害を賠償すべき義務がある。
四 原告らの損害
1 原告春子について
(一) 逸失利益
原告春子が昭和四八年二月二六日出生の女児であることは当事者間に争いがない。そして昭和五〇年度簡易生命表によれば満一歳未満の女子の平均余命は七六・九五年であることからすれば、右余命の範囲内で、原告春子は、将来満一八歳に達した時から満六三歳に達するまでの間は稼働が可能であるということができる。
本件医療事故に因る、原告春子の受傷の内容、程度は前記二1(六)認定のとおりであり、昭和三二年七月二日基発五五一号労働基準局長通達による「労働能力喪失率」を参酌し、原告春子が幼児であって稼働可能年令に達するまでの期間、稼働可能期間がいずれも長期間であり、その間における訓練、慣熟等による運動能力の増加等も考えると、右受傷による原告春子の労働能力の喪失率は、前記稼働可能期間の全期間を通じて平均五〇パーセントとみるのが相当と考える。
ところで、労働大臣官房統計情報部作成の昭和五一年度賃金センサス第一巻第一表によれば、企業規模計産業計学歴計の全女子労働者の平均賃金は毎月きまって支給をうける現金給与額が九万二七〇〇円、年間賞与その他特別給与として支給をうける金額が二六万七五〇〇円で一年間の合計額は一三七万九九〇〇円である。
そこで右の稼働可能期間、労働能力の喪失率、平均賃金によって、原告春子の右の稼働可能期間における逸失利益の、ライプニッツ式計算法による年五分の中間利息を控除した本件医療事故当時の現価を算出すると、別紙逸失利益計算書(二)記載のとおり五〇九万五六二五円となる。
(二) 慰謝料
原告春子は、本件医療事故に因る後遺障害によって、生涯にわたって社会生活の面はもとより、日常の起居動作の面でも相当の制約を受けるであろうことは想像に難くなく、その精神的肉体的苦痛が甚大なものであることは容易に推認できるが、本件医療事故発生に至るまでの原告春子の健康状態、被告武田の過失の程度等本件口頭弁論に顕われた諸般の事情を考慮すると、原告春子に対する本件医療事故に因る受傷についての慰謝料としては、二〇〇万円が相当であると考える。
2 原告太郎、同花子の慰謝料について
原告太郎、同花子が、本件医療事故によって相当の精神的苦痛を受けたことは推測するに難くないが、本件医療事故に因る原告春子の受傷の内容、程度、その他諸般の事情をあわせ考えると、原告春子の右受傷をもって死にも比肩すべきもの、またはその場合と比して著しく劣らない結果を生じたものとまではいうことができないから、原告太郎、同花子は原告春子の父母として、被告らに対し慰謝料の支払いを求めることはできないものといわなければならない。
五 原告春子は、第二次的に被告病院に対して、債務不履行を請求原因とする損害賠償請求をしているが、債務不履行を請求原因としても、被告病院が支払うべき損害賠償額に変りがないことは明らかである。
六 結論
以上のとおりであるから、原告春子の被告病院、同武田に対する不法行為を原因とする請求は前記四1(一)(二)の合計七〇九万五、六二五円およびこれに対する本件訴状送達の翌日から完済に至るまでの遅延損害金として、本件記録上明らかな被告病院については昭和四八年八月一九日から、被告武田については同年九月二一日から、いずれも民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める限度においては理由があるからこれを認容し、原告春子のその余の各請求及び原告太郎、同花子の各請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行宣言について同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 寺井忠 裁判官 浅田登美子 高山浩平)
<以下省略>